ポツダム宣言と地位協定を読む。

2015年11月16日 23時19分 | カテゴリー: 活動報告

今回の学習会では、この本を参考にしました。

11月11日(水)夜、むさしの市民平和月間参加企画の1つとして、「ポツダム宣言と地位協定を読む」学習会を開きました。市内市外含め、予想以上の参加者があり、「講師のお話を聞く」スタイルではない「原典をみんなで読み、意見交換する」学びの場を持つことができました。

 

 

 

 ポツダム会談は、1945年7月、ドイツベルリン郊外のポツダムにおいて、イギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン書記長の三者が、ナチスドイツ敗北後のヨーロッパ戦後処理を目的に集まった場です。アジア戦線についても話し合いがもたれ、当時日ソ中立条約破棄していないソ連を除き、中華民国蒋介石主席の電話での合意を得て、英米中の3か国の名前で出されたのがポツダム宣言でした。

 ポツダム宣言は全13条。当時の文語調の日本文と英語文が原典ですが、学習会では現代語訳を1人1条ずつゆっくりと読み合いました。(3言語を併記した宣言原文は、この文章の末尾に置いてあります)

まず原典にあたってみる。1人ひとりが考えるための土台を作る。

フリートークで出た主なやりとり

●この宣言は、現在の効力があるのか? → ポツダム宣言は、一方的な宣言に対し、当時の鈴木貫太郎首相が「黙殺」と国内メディアに会見で述べたことが連合国メディアを通じて「無視」と受け止められた。正式には8月14日、外務大臣→スイス公使→連合国へと、「無条件降伏」の回答を行った。その際、政権が最も気にしたのは「国体護持」であった。

●そもそもこのような「宣言」は、だれとだれがどういう前提で、どういうルールで行うものなのか? 基本的なことがわからない。日本人の外交オンチ?

●なぜ日本は、ドイツに比べて被害者意識が強いのか? 日本人にとって昭和19年以降の「がまんと飢餓」の記憶が強いからではないか? ドイツは第1次大戦敗戦の教訓により、ヒットラーが国民の飢餓対策に力を入れたと発言あり(注:未確認)。

●被害者意識が強い理由は、「加害の現場が国外であり、多くの国民が目撃していない」から。重慶爆撃やABC兵器(細菌戦・神経ガスなど)の実態を知らない。そのため、戦争被害を「自然災害」のように受け止める誘導?がされてきた。

●敗戦ではなく、終戦と言い換えてきた。

●シベリア抑留の悲惨なようすを、「香月泰男」の作品で知った。 

●非戦闘員である、不特定多数の市民を標的にした2つの原爆や、東京大空襲など都市空爆は、戦争犯罪であり、アメリカと対等であろうとするなら、まずそのことを明確に指摘すべきではないのか。

●11条の「経済復興」に、戦後の経済成長がアメリカによって誘導されたことを改めて感じた。学校給食への脱脂粉乳導入は、アメリカの余剰生産の処分の側面があった。

●敗戦国であるドイツとイタリアは、国民の努力で地位協定を改定し、駐留米軍の位置づけを変えてきたのに対し、日本はずっとそのまま。なぜそうなったのか? もっと学ぶ必要がある。→11月27日(金)憲法を学ぶ会で、三宅晶子さん(千葉大学教授)がドイツ文化論の立場でお話してくださる。

地位協定を考えるのにお奨めの本です。

 原典テキストのPDFデータはこちら。

学習会で用いた、ポツダム宣言当時の日本語・英語・現代語の3つで併記したものです。

地位協定は、日本語・英語の併記、28条からなります。