精神障がいの方を地域で支える「包括型地域生活支援プログラムACT」
ACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム)を立ち上げて6年目、浜松市のぴあクリニック+訪問看護ステーション不動平(㈱ぽっけ)を訪問しました。
1.ぴあクリニックと、ぽっけ
浜松市は楽器とオートバイ、サッカーの町で知られていますが、病院が充実していることでも知られています。ぴあクリニックは、聖隷クリストファー大学三方原病院のすぐ近くにありました。
ACTとは、精神科医療(ぴあクリニックの新居昭紀Drの往診を含む)と訪問看護ステーションぽっけによる訪問看護、そして、両方にまたがる形でPSW(精神保健福祉士)などのスタッフが日常的継続的な生活支援を行う事業です。1960年代にアメリカで誕生。エリアを限定し、約10人で約100人の当事者さん(主に統合失調症で医療拒否などで通院できない方)をみる、という仕組みが明確に理論づけられているため、スタッフの疲弊や燃え尽きを防げる特徴があります。
今回の視察では、ぽっけ事務所であった「朝のケース会議に同席する」という画期的な経験をさせていただきました。スタッフがパソコンの電子カルテをのぞきながら、約60人の当事者さんについて「昨日買い物に同行しました」「橋幸夫のコンサートがあるから、何とか連れ出したい」「大家さんから苦情があった」「薬を飲み忘れないようにアラームを一緒にセットした」など、次々に情報共有していきます。その間約40分間。一人だけで抱え込まないように、適切な距離を保つようにと、皆で共有する姿勢がはっきりとわかりました。
スタッフのメンタルケアについては、毎日夕方事務所に戻って「毒を吐き出す」こと。月1回聖隷クリストファー大学の佐々木Profと勉強会を続けているのが有効であること。24時間365日体制で、Dr・PSW・ナースが各1台携帯電話を持っているが、深夜に呼び出されることは非常に少ない。つまり、その手前の段階で先手必勝でケアしている。と、地域包括支援型プログラムの真髄とも言えるお話もありました。
精神医療は、明治時代の「医療ではなく、措置」警察が管轄だった時代を引きずっているのが現状です。暴れて家族が面倒を見きれなくなり、専門病院に入院する。しかし治ることなく病院内で何十年も過ごし老いていく。当事者にとっても家族にとっても大変不幸な状況です。
ぴあクリニックの新居Drは「治ることを目的にしない」「当事者のユニーク(?)な生活を、地域で支えてあげればよい」と、精神医療にかける理念を語って下さいました。奥様と一緒にクリニック隣に「虹の家」を併設し、当事者も家族もスタッフも地域の人も、一緒に楽しめる居場所を作っています。
ACTプログラムで劇的に症状が改善した方の動画を拝見しました。
お1人は体感幻覚があり、車いす移動であるにもかかわらず、京都市で開催される交流会で当事者発言することを強く希望。帰路はJRのサービスを利用しながら単独で帰宅する計画を立てているとのこと。
もう1人の30代の女性は、治療前は人を怖がりスタッフから逃げる、発話がないなど重症でしたが、支援によりおしゃれお化粧をし、履歴書を書く、など就労可能な状態まで回復しました。
男性当事者さんの中には、身体障がい者向けの就労支援事業「グループワーク浜松」でのパソコン教室に通ったことで、就職できた方もあったそうです。1日2,000円ほど出る訓練手当が、当事者の意欲を引き出し、有効に活用された例です。
ACTプログラムを実践している団体は、全国に12か所。立川市に本部を持つNPO法人多摩在宅支援センター円も、同様の取り組みをしています。
武蔵野市は「地域リハビリテーション」の理念を掲げ、「誰もが生き生きとその人らしく住み慣れた地域で暮らす」地域福祉の目標にしています。昨年春に策定された健康福祉総合計画にも明記されています。一方、精神医療の面においては、取り組みはまだまだ遅れており、身体障がい知的障がいに比べ、精神障がい当事者を抱える家族の方への支援は、弱いと言わざるを得ません。
ACTのような事業が一般化すれば、精神科専門病院で社会から隔絶されて年老いていく患者さんをなくすことができるでしょう。グループホームすらも不要になるかもしれません。今回の視察で、地域包括型精神医療+生活支援のあるべき姿をはっきりとイメージすることができました。
2.おまけ
新居Drは、ベンツやジャガーのオープンカーを所有。Drもスタッフも当事者さん訪問の時にベンツを頻繁に利用するそうです。引きこもりの方を連れ出すのに成功したこともたびたび。「ベンツの人気はすごい!」 一緒にケーキを食べたり、カラオケに行ったり。そんな普通の楽しみ喜びを、普通に味わって暮らす。薬漬けにならずに済む、病院に閉じこもらないで済む。我が国の精神医療に対し、政治がもっと発言していかなければなりません。