転記させていただきます「共生する社会へ~相模原事件を越えて」

無題

人権を蔑ろにし、差別を容認するような社会にしてはならない。あらためて心に刻むために、社会福祉法人武蔵野理事長安藤真洋さんの文章を転記させていただきます。この文章は、社福武蔵野の機関紙「ぷれっそ」34号の巻末に掲載されたものです。

福々刻々「共生する社会へ~相模原事件を越えて」

めまい

2016年7月26日未明に「津久井やまゆり園」で起きた事件は大きな衝撃と試練を我々に与えました。多様性のある社会を希求するこれまでの動きに対して、それを否定するものだったからです。

事件後に熊谷晋一郎氏(東大准教授 脳性マヒ後遺症)ら障害当事者が追悼集会を開きましたが(8月6日)、その呼びかけ文には「何十年もかけて踏み固めてきた地盤が大きく揺らぎ『自分たちがこれまでしてきたことは何だったのだろう』という無力感に襲われている」「まるで時計の針が数十年巻き戻されるようなめまいを伴う感情を抱かずにはいられません」とありました。

有用の者と無用の者があるという破壊的な思考、それがもたらす問題をよく考え、回復を試みねばなりません。「すべての人のいのちと尊厳が守られる未来を目指すことを誓うために」(呼びかけ文)力を合わせていくことが必要だと思います。

存在感

かつて福祉は「社会復帰に役立ち、社会への見返りが得られる人が対象であり、(重い障害のある)この子らに出す金は『どぶに捨てるようなものだ』と公然と言われていた」と「びわこ学園」の高谷清医師(重症心身障害児施設「びわこ学園医療福祉センター」と改称)は書いています。(「重い障害を生きるということ」岩波新書2011年)。

そんな頃から我々の先達、そして障害当事者やご家族の方々は渾身の力を振り絞って存在の価値を訴え実践してきました。びわこ学園を開設した糸賀一雄氏は「生まれた生命はどこまでも自己を主張し自己を実現しようとする」(「福祉の思想」NHKブックス 1968年)と言います。私自身も長く現場で働いてきましたが、障害の重いご利用者とのかかわりの中でその存在感や意思を感じてきました。そして、またご利用者も私の思いを感じてそれに応えるということがあったと思います。そこにはお互いを認めあい同じ時間を共にする喜びがありました。

豊かな関係は希望につながっていきます。その生きようとする営みはさらに適切な支援があれば自立的な生活へとつながります。支えー支えられながらたどる自立の道は、その本質的な意味において誰もが同じではないかと思います。

共生する社会

さて、平成23年に改正された障害者基本法の目的(第一条)には「この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする」(傍線筆者)とあります。

先の熊谷氏は「人と人が依存しあい、連帯できる社会」を模索したいと言います(朝日新聞8月24日)。この言葉を踏まえ、私は社会福祉法人として共生社会の実現に向かう責任を自覚し、新たな福祉社会のあり方を粘り強く追及していかねばならないと考えます。

嗜虐的な欲望を伴った無法な刃物によって生きることを絶たれてしまった方々の無念を思うと大変辛く、悔しい思いがあります。亡くなられた19名の方を悼み、心よりご冥福をお祈りいたします。そしてけがをされた方の1日も早い回復を願っております。