特別支援教室を「特別にしない」 子どもたちが共に学ぶ教育とは

生活者ネットワーク、多摩北エリアの共通取り組みとして、「特別支援教室」ヒアリングを行いました。ヒアリングの内容は、武蔵野・生活者ネットワークHPで報告しています。

武蔵野・生活者ネットワークHP2月7日記事。

今春から中学校全校でも、特別支援教室配置へ

小学校では、2017年度から全校配置となり、発達障害を持つ児童に対する指導が浸透しつつあることがわかりました。中学校では、2020年度から全校配置となります。ヒアリングで「校舎内のスペースは確保済み」を確認しました。

今後の方向性は?

「判定委員会による振り分け・取り出し」を前提にしている、発達障害のある子どもへの個別指導。今後、拡充する方向か?というとそうではないようです。東京都は、「児童10人に対し、指導教員1人」と、国基準以上の厚い配置を行っていますが、それを、国並みの「13人に1人」に抑制する方向にある。とのこと。あれれれ、個別指導はもっと必要なのでは??

教員確保が困難?

東京都の教員採用がかなり厳しい状態になっています。採用試験の倍率がここ5年ほどで下がってきている。教員が「ブラック労働」であることが、大学生の教員志望意欲を削いでいる傾向が強まっています。教員の「熱意」に頼ってきた、学校教育行政のツケがいよいよ回ってきた…。学校現場の働き方、教員の処遇改善が不可欠です。

目指すべきインクルーシブ教育のありようは?

「特別支援教室」に行かなくても、その子に合わせた指導が、柔軟に受けられる。「振り分け・取り出し」をしなくて済む学校の体制が、必要であると思います。さらにその先には、「特別支援学級」も「特別支援学校」も、要らなくなる…。何十年かかっても、そんなありようを目指していくべきだと感じます。

特別支援教室の配置が13人に1人、と抑制されても、「発達障害のある子どもに寄り添う個別支援が、通常クラスでも当たり前になる」のであれば、それが私たちの望むインクルーシブ教育への一歩なのかもしれません。しかし、単なる抑制にとどまってしまうのか、前進の途上なのか、今はわかりません。

教育にはもっとお金をかけるべき

わが国の教育にかける予算が、OECD諸国の中で最低であることは、かねてから報告されてきました。諸外国から見れば「日本は効率的に教育を行っていて、すごいな」と見えるのかもしれませんが、その実態は前述のように「教員の熱意や情熱に頼って」「教員の在校時間が際限なく増えてきたのを放置してきた」ことによるもの。そして、特に大学など高等教育に関しては、個人支出が50%を超えているように、「格差拡大を助長する教育行政」に、構造的になってしまっていることを見逃すわけにいきません。

武蔵野市が独自に取り組めることの限界も見えていますが、その中で、「交流学習を増やす」「特別支援教室専門員を配置する」「発達障害に関する啓発を進める」「就学相談での対応を丁寧に」など地道な取り組みを一層拡充するよう、要望していきます。