武蔵野市でも市民の願いが取り合ってもらえなかった経験があった~住民投票条例案否決その4~
「住みたい街」として知られる武蔵野市。西園寺と生活者ネットワークは、「住みたい街から住み続けられる街へ」のキャッチフレーズに賛同し、市長選挙で快勝することができました。今、武蔵野市内では、(今回の街宣車が多数押し寄せた状況を除けば) まち全体をゆるがすような大きな不満や鬱積は見当たらないように感じます。皆さんはどのように感じておられるでしょうか。
このような平穏な市政の状況は、昔からずっとそうだったわけではありません。
中学校給食を望む声に対して、当時の市長は否定的だった。
現在、中学校給食は全校で実施されており、(希望者対象、弁当持参も可)保護者が共働きであろうとひとり親であろうと、時間に不規則な仕事をしていようと、どの生徒も健康に配慮された給食を食べることができます。これは子どもの心と身体の育ちを保障するために、不可欠なことと考えています。生きるための基盤です。
中学校給食実現に向けて市政が動き始めたのは、2005年「中学校給食実現」を公約に掲げて当選した前邑上守正市長に交代してから。交代後、検討に取りかかり、順次中学校給食を実施。2010年に6校全てに提供できる状況となりました。当たり前になったのは11年前。古い話ではないんです。
それまで、複数回市民から陳情が出され、2万筆を超える署名が集まりました。近隣自治体でも実施されていたにもかかわらず、当時の市長の判断で実現しなかった、と複数の市民から伺っています。当時の市長がなぜかたくなに中学校給食を否定したのかよくわかりませんが、「お母さんの弁当が一番いい」と、市民全体の利益より個人の価値観を元にした発言があったと聞いています。
住民投票制度がその当時あったら?
「市長が取り合ってくれない」「議会に出した陳情も不採択」という状況が、2004年12月議会であったのです。陳情一覧表平成16年。
「第四期基本構想での中学校給食に関する陳情」は12月6日に採択となったものの、「弁当も選択できる中学校給食の実施を長期計画に盛り込むことに関する陳情」など4件が不採択になったことが記録に残っています。
昭和40年代から地方自治の先鞭となる「計画行政」に取り組み、市民参加・職員参加・議員参加のまちぐるみで計画を作り、それを着実に実施することで、住みたい街NO1の評価を受けるに至った。その武蔵野市でさえ、市長の権限は巨大であり、長期計画に盛り込んでほしい、という市民の願いが議会で門前払いになった経験があったこと。これは忘れてはいけないと思います。
当時、今回のような住民投票制度があったら、西園寺と生活者ネットワークは署名集めに走り回っていたことでしょう。
→ 「外国籍の方に権利を与える」というよりも「国籍で差をつけない」。その5につづく。