ともに暮らす。外国籍の方の投票権はすでに定着済み~住民投票条例案否決その5~
今回、反対側がもっとも神経をとがらせたのは「外国籍の方の扱い」でした。「外国籍の方を差別するのか?排除するのか?」と非難を受けないように、議場での発言は「差別ではない、区別だ」とされてましたが、その論拠はすり替えや一部の切り取り、に終始していたと思います。「差別でなく区別」と主張するなら、具体的な対案を示すべきでした。
「外国籍市民にのみ、在留期間などの要件を設けることには明確な合理性がない。」
いかにも、行政的な言い回しでわかりにくいですよね。議員生活11年になっても、未だに慣れません。
しかし、言っていることは簡単明瞭。
武蔵野市に何代にもわたってずっと住んでいる方も、つい3か月前に引っ越してきたばかりの方も平等、1票。
広い土地の所有者・大家さんも、小さいアパートに住む人・店子さんも平等、1票。
何億円も納税している人も、生活保護を受けている人も同じ、1票。
武蔵野市に住みたくて選んで来た人も、たまたま巡り合わせで住むことになっちゃった人も1票。
歴史をさかのぼれば、高額納税者のみ参政権があった時代から普通選挙へ。
男性しか参政権がなかった時代から、女性参政権へ。
権利を広げ、垣根を取っ払いながら歩みを進めてきたのですよね?
同じです。
海外で生まれてずっと海外で育ったために日本語が流暢でないけれど帰国して武蔵野市で暮らしている日本国籍の方も、
帰化を選択し、日本国籍を取得した方も。
もちろん母国のアイデンティティを大事に守り続けながら、外国籍のまま武蔵野市で働き生活している方も、
国際結婚で2つのアイデンティティを持って家族を築いている方も。
日本語ができる方も、たどたどしい方も。
多様な方々。文化や知恵、スキルを持った方々がこの武蔵野市でその人らしく生きられる。ともに暮らす。
開いていく。受け入れていく。認め合っていく。21世紀の社会が目指すのは、そんな方向性ではありませんか?
西園寺は、この条例案をまとめあげた武蔵野市と松下玲子市長を誇りに思います。
アンケートでいい? それこそ差別です。
外国籍の方の意見を聞くならアンケートでいい、という発言もありました。わかってないなあと思いました。日本国籍の人は投票所で投票できる。外国籍の人だけを別にアンケートする。っておかしいですよね。
ある議員さんがオリンピックパラリンピック対策で「調布スタジウム最寄りの武蔵境駅前の表示板を多言語表示にすべき」と要望していたことを思い起こしました。一過性の観光客、としての外国籍の方には配慮するのに、ともに同じ空気を吸い、同じ道路を歩き、同じ学校で子どもを育てている外国籍の方が投票権を持つのはイヤ、っていうことなんでしょうか?
大坂なおみ選手のように、海外で活躍したい!
今、大坂なおみ選手や八村塁選手、ケンブリッジ飛鳥選手にあこがれ、あんなアスリートになりたいと夢見ている子どもたちが全国にたくさんいます。彼らが自分の能力を最大限に発揮するために、住む場所トレーニングする場所を選んで暮らしていることは誰もがよく知っている。日本人としてのアイデンティティを守りながら自分の可能性を追求する。海外で活躍できる。私たちはそんな世界を望んでいるんだと思います。同時に、海外からこの武蔵野市を活躍場所として選んでこられた方々をパートナーとして受け入れる。これは当然のこととではないでしょうか? オリンピックパラリンピック招致や応援に熱心だった議員さんがた、オリンピックの目指す「ダイバーシティ推進」の意味を理解されていますよね? それとこれは別、なんでしょうか?
外国籍の方が住民投票に参加した事例は既に200件以上ある。
今井一さん(国民投票/住民投票 情報室事務局長)が「論座RONZA」に投稿した文章によると、国内で外国籍の方が投票権を行使した事例は既に202件あるとのことです。その大部分は合併に関するものであり、外国籍の方の居住要件はまちまちなので、今回の武蔵野市の住民投票条例と直接並べるものではありませんが、この報告を読むと、既に「外国籍の方が投票権を持つ」こと自体は、地方自治においては完全に定着したことであり、自治体のトップリーダーを標榜してきた武蔵野市が、今さら後ろ向きな話をしている場合ではないですよ、と言いたい。
反対などできないはずです。
中立を主張した議員の方々へ。この条例案が本質的に意味するところと、わが国の地方自治の歴史的な経過を理解すれば、反対などできないはずです。21世紀の世界の中で、この国が生きていくために、閉じてはいけない。開いていかなければ。
議会と議員は今まで一体何をしていたのか?~その6につづく。