市民参加が足りないなどと言い訳すべきではない~住民投票条例案否決その2~

市内には約3,000人の外国籍の方が暮らしています。まちの賑わいに欠かせない存在となっている多国籍料理のレストラン。国際基督教大学、東京外国語大学など近隣大学の関係者の方も、武蔵野市に欠かせないパートナーです。

市民参加を進めれば進めるほど、一層議会と議員の役割が問われる。

反対派市議(公明党含む)は、住民投票制度そのものを否定しませんでした。「外国人を排除するつもりは毛頭ない」とも述べています。無所属議員も「市民周知が足りない」ことを理由にしていました。であるならば、反対した方々は「どういう要件であれば、賛成するのか」「居住要件をどう変えたいのか」「市民周知をどこまで徹底すればいいと判断するのか」対案を出し、修正案の提案につなげるべきと思います。

自治基本条例と同時に昨年制定した「議会基本条例」の前文には「地方議会は、民主主義の前提である情報の公開、積極的な市民との対話、論点及び争点の明確化、意思決定の過程を明らかにすることや市民の多様な意見を反映した政策の立案や提言に努めなければなりません。」とあります。市民全体の利益のために合意形成を図らなければなりません。

SNS時代となり、「いいね」ですぐに反応が見える時代となりました。それは同時に、根拠のない誤った言説が一見魅力的に見えてすぐに拡散してしまう、大変危険な時代であるとも言えます。衆愚政治とのそしりを受けないように、二元代表制の一翼である議会と議員は、「いいね」に惑わされず、声の大きさや抗議活動の量に負けず、努力と研鑽を積んで見識を持たなければなりません。

参加者数だけで市民参加の質を判断できません。

通常の条例づくり以上に丁寧に進めてきた自治基本条例2016年から足掛け3年をかけて、市議2名を加えた懇談会でじっくり議論を進めた)と住民投票条例案。武蔵野市として恥ずかしくない進め方であったと確信しています。

その一方、2005年市長交代以来、着実に進んできた「幅広い市民意見の反映」が今回はうまく機能しなかった、ことを認めないわけにもいかないと思います。

生活者ネットワークが要望し、実現し、定着してきた、無作為抽出アンケート・ワークショップ、パブコメ、意見交換会などのツールは、具体的、個別的な案件では大いに効果を発揮します。(9月に全会一致で可決したパートナーシップ制度条例改正がその例です)

が、「自治」「常設型住民投票」「公共施設総合管理計画」のような抽象的、全体的なテーマでは、市民は参加しにくい。判断の基準が明確でなく、賛否を表明しにくい。市民説明会への参加者が少ないのは自然なことと言えます。市が学識経験者やしかるべき人たちと相談して決めたものに口をはさむことはとてもむずかしい。市を信用して賛同する。というスタンスを取るのはある意味無理のないことかもしれません。

市民参加が足りないなどと言い訳すべきではない。

だからこそ議員はよく勉強して、条例案の何が問題でどこが合意できないのか、はっきりさせるべきです。迷うのであれば、支援者など多くの市民に情報を知らせて「ここにこんな問題がありますよ! どう思いますか?」と示し、市民の声に耳を傾ける。

その上で、自分の判断を下し、議決の場において、客観的な根拠を示し正々堂々と賛否を明らかにすべきです。その姿を市民に見せるのが議員の役割。市民が知らないから判断できない、とか「中立の立場だから」はあり得ない。条例文をよく読み、争点を明確化する責務は、市民ではなく、情報を十分に持っている議会と議員の側にある。14万人市民すべてに周知することなど不可能であることを前提にして、議員の役割を果たすべきと言いたい。

落ち着いた議論、合意形成に向けて。

武蔵野・生活者ネットワークには、「当然可決されると思っていたのに、なぜ否決?」「否決は残念だけど、全国的に注目されて市民一人ひとりが考えるきっかけになった」などの意見が寄せられています。この条例案の本来の趣旨「多様性を認め合い、支え合いと共生のまちづくりを進める」を落ち着いて議論し、合意形成していくために、議会のあるべき姿を追求し、議員としての役割を果たしていきます。

→ 結局、争点ずらしに翻弄されて否決となった条例案。本当の趣旨は何だったのか? その3につづく。